~ミッションは仕事の根幹であり、お題目ではない
数年前テレビである大学病院の医療事故が報じられていた。手術中のトラブルによって患者が亡くなり、執刀した比較的若い医師が院長とともに記者会見で頭を下げていた。その後のインタビューで、その医師はこう語った。「私は当院のマニュアルに忠実に従って執刀しました。ご遺族の方には申し訳ないと思っていますが、私にミスはありませんでした。」
もちろん、その医師は個人に規定違反という過失はなかったのかも知れないし、病院という組織の中では定められた手順やマニュアルに従うことも重要だ。しかし私はこの発言を聞いたとき「自分のミッションを見失ってしまった悲しい医者」と感じた。少なくとも自分はその医師に診てもらいたいとは思わない。
医師という仕事の本来の存在意義は何だろうか。それは、自らの知識と技術を最大限に発揮し、「何とかして患者の命を救う」ことではないだろうか。マニュアルに従うことはその目的を実現するための手段に過ぎない。もしマニュアルに問題があると感じたら「このままでは患者を守れない」と声を上げ、偉い上司に睨まれようとも改善を強く求める。そのくらいの覚悟を持って仕事に向き合うからこそ人は医師を信頼するのだと思う。現実にはそれが簡単ではないことも理解している。しかし本来の存在意義を置き忘れた瞬間その仕事は単なる作業になり、コストになり、悲しい結果を生む。
この医師の話を聞いたとき、私は有名な「三人の石切り工」の話を思い出した。
旅人が大きな石を切り出して運んでいる三人の石切り工に尋ねた。
「あなたは何をしているのですか。」
一人目の石切り工は不機嫌そうに答えた。「見れば分かるだろう。石を運んでいるんだ。」
二人目は辛そうな表情でこう答えた。「これで生計を立てているんだよ。」
そして三人目の石切り工はたくさんの汗をかきながらも目を輝かせながらこう答えた。「私は立派な教会をつくっているんだ。町の人たちが神様に祈りを捧げたり、集まって語り合ったり、子どもたちが楽しく遊んだりできる場所をつくっているんだ。」
三人とも同じ仕事をしている。しかし見ている世界はまったく違う。
一人目は「作業」を見ている。二人目は「報酬」を見ている。三人目だけが「目的」を見ている。言い換えれば、三人目だけが自分のミッションを意識しているのである。
私は経営コンサルタントとして29年半、多くの企業を訪ね、多くの経営者・経営幹部と出会う機会があったが、それを踏まえて言うならば、日本の企業やそこで働く人々もこの30年ほどの間に「ミッション」をどこかへ置き忘れてしまったように感じている。もちろん、多くの企業はホームページに立派なミッションを掲げてはいるが、しかし、それらの多くは顧客や株主に向けたブランドイメージづくりのための言葉になってはいないだろうか。
本来、ミッションとは企業の存在意義そのものであり、もっとシンプルなものである。医師であれば患者の命を救うこと。飲食業であれば、おいしく安全な食事を通じて、人々に楽しく豊かな時間を提供すること。建設会社であれば、人々が安心して暮らせる街をつくること。企業活動の中心には、本来そのような存在意義があるはずだ。ところが売上や利益だけを追い求めるようになると、本来のミッションは忘れ去られてしまう。産地偽装が起きたり、メニューブックの写真ばかり立派で実物は貧弱な料理を提供したりするのは、その典型例である。手段が目的化し、存在意義が後回しになった結果だ。
その対極にある企業の一つがスターバックスだと思う。1996年に日本一号店を開設して以来、スターバックスは何度もミッションの表現を見直してきた。時代に応じて言葉は変わるが、「なぜ私たちは存在しているのか」という問いを問い続けている。スターバックスには分厚い接客マニュアルがないと言われる。なぜなら、ミッションそのものが判断基準だからである。一人ひとりのお客様に寄り添い、その場にふさわしい体験を提供する。そのためには、画一的なマニュアルよりも、ミッションへの共感のほうが重要であり、あとはその場にいて顧客と向き合っている一人ひとりの行動に委ねられる。だからこそ、世界中で多くの人々から支持され続けているのだろう。ミッションとは、額に入れて飾るものでも、ホームページに掲載するための文章でもない。日々の判断や行動の拠り所となるものである。
私が毎年管理者研修の講師を担当し、6年前に上場を果たした企業の新社長から、「ミッション・ビジョンを刷新したい」という相談を受けた。役員全員で議論しながら決めたいという話だったが、他の役員がいない場で社長自身の考えを尋ねてみると、返ってきたのは十年後の売上〇億円の達成という「売上目標」の話ばかりだった。正直なところ、私は少なからず不安と失望を感じた。上場を実現するまで必死に売上拡大に取り組んできたことは知っている。数値目標は重要だ。社員や株主への責任を意識することは当然必要である。しかし、それは企業の存在意義なのだろうか。石切り工の話で言えば、売上目標は「これで生計を立てているんだ」という二人目の石切り工の視点に近い。企業が本当に目指すべきなのは、「どのような社会をつくりたいのか」「自分たちの事業を通じて誰にどのような価値を届けたいのか」という三人目の石切り工の視点ではないだろうか。
「私たちは何のために存在しているのか。」「社会にどのような価値を提供したいのか。」
社長にその問いの答えが思い浮かばないとしたら、どのような企業経営をするのだろう。
ミッションは聞こえのよい宣伝文句でもなければお題目でもなく、仕事の根幹であり、日々の判断の基準であり、企業が存在する理由そのものである。
だからこそ、私たちは繰り返し問い続けなければならない。
「私たちは何のために存在しているのか。」
そして、その答えを行動で示し続けることこそが、その企業が存在する理由なのだと思う。
(2025年9月)