ミッションは仕事の根幹であり、お題目ではない

 以前テレビで、ある大学病院での医療ミスが原因で患者が亡くなってしまったことを報じていました。そしてその手術を担当した比較的若手の医者は報道陣の前で院長と一緒に頭を下げていましたが、その後のインタビューで「私は当病院のマニュアルに忠実に従って執刀した。遺族の方には申し訳ないが私にミスはなかった」と語ったのです。私はこの医者の発言を聞いて、「自分のミッションを忘れてしまった哀れな医者」と感じたのです。医者はシンプルに表現すれば、自分の持てる知識と技術をフルに発揮して、何とか患者の命を救うのが存在している意味であって、マニュアルに忠実に執刀することが存在意義ではない、と思います。しかしこの若い医者はマニュアルに沿って執刀したのでミスはなかったと主張したのです。大きな病気や怪我をした時に、この病院にいきますか?この医者に執刀をお願いしますか? マニュアルが間違っていると思えばマニュアルを変えるべきだと大声で主張するくらいの気概を持って執刀するから信頼されるのが医者だと思います。現実的にそれが簡単ではないこともわかりますが、だからといって本来の存在意義を置き忘れてしまったら、存在する意味がなくなってしまうのです。
 病院に限らず、日本の企業も、そこで働く人々も、この20年くらいでミッションというものをどこかに置き忘れてしまっているような気がします。もちろん企業としてのミッションは言語化されてホームページには掲載されていますが、ほとんど株主や顧客に対するブランドイメージ作戦になってしまっているようにも思います。医者はシンプルに言えば患者の命を救うこと、飲食業は新鮮で健康的な料理を通じて家族・友人との楽しい時間を届けることがミッションだと思います。売上目標しかないから産地を偽装してみたり、メニューの写真とはまったく異なるショボい料理を出して子供たちをガッカリさせたりするのです。
 スターバックスは1996年に日本に第一号店が出来てから来年で30周年になります。その間何度かミッションの表現を変更しながら、その存在意義を問い続けていて、マニュアルはないといいます。ミッションがマニュアルなのです。今は「一杯のコーヒーで、一人ひとりのお客様に対して、マニュアルのない寄り添ったサービスをする」と表現されているようですが、今後もその存在意義を問い続け、変更を加えていくでしょう。世界中の多くの人々に選ばれ続ける企業をつくるための大きなパワーを持っています。ミッションをお題目程度にしてしまうのはもったいないことです。
 昨年、数年前に上場を果たしたある会社の新社長から「ミッション・ビジョンを刷新したい」という相談がありました。役員皆でじっくり話し合って合意の上で決定したいという意向でしたが、他の役員がいない時に社長自身の意見をお聞きしてみると、10年後の売上目標しか出てきませんでした。これには正直なところガッカリしていまいました。確かに上場を果たすまでは売上目標に向かって全社一丸となって活動してきたはずです。そのせいか、売上目標以外の目標はイメージできなくなっているように思うのです。数値目標は確かにわかりやすいですが、会社の売上規模を拡大することが存在意義ではないはずですし、最終目的ではないはずで、それに疑問を持たない社長で大丈夫なのかと不安を感じました。新社長としては株主の姿が気になるのは当然ですが、先々代の社長の時代から長いお付き合いをさせて頂いたこの大好きな会社から自然と気持ちが離れてしまいました。